無題

どうすれば自分のアイデンティティが関わる人に伝わるか、自分のデザインの道を歩みはじめたルーツ、バックグラウンドを一方的にではありますが発信していきたいと思います。

学生時代を90年代で過ごし中学卒業と同時に精神疾患を患いました。その前後に触れたミュージックカルチャーやファッションカルチャー、様々な音楽と出会いました。父方の祖母が地元で和裁を学び、嫁入りの着物を縫う仕事を生業としていたことは後で知ったのですがそれは当時の僕に影響したのかはよくわかりません。

smashing pumpkins,CHEMICAL, BROTHERS,BECK,BEASTIE BOYS,PRODIGY,SONIC YOUTHなどのオルタナティブロックやこの時代に新しく生まれたミクスチャーロックなどの洋楽、付随してSpike JonesのPVの世界観に影響を受け、ミッシェルガンエレファントなどのガレージロックやフリッパーズギターなどの渋谷系まで、また、ファッションブランドのヴィヴィアン・ウエストウッドを中学時から纏うおしゃれな友人、第一次古着ブーム、裏原ブームが根幹にあります。

BOON、CHECK MATE、smartやちんかめ、宇多田ヒカルとの出会い、闘病中に出会い兄の影響で聴き始めたゆらゆら帝国、blonde redhead、大学時代に出会ったストリート編集室が生んだTUNE,FRUiTSから受けた衝撃、とにかく影響を受けたbanal chic bizarreのデザイン。今でも売らずに残してある20以上のピース。

また、ショップとしては神戸のmuktaというショップのセレクトがとにかく尖っていてUNDERCOVERISMやGUERNIKAは喉から手が出るほど欲しくて借金をしてまで買った記憶があります。usedのpublic enemyのTEEにブロックチェックの生地をスカートに見立ててドッキング、リメイクしたトップスの斬新さは今でも覚えています。結局これも買うことに、、、。

ぼくのデザインを産み出したのはネット環境の普及やサブスクリプションの台頭ではなくリアルに過ごした90年代前後、2000年代のカルチャーに触れた経験と環境となによりも家族の存在と理解とサポートが自分のメンタルとデザインにおいてのモチベーション、ブランドの存続を担っていることは間違いないです。

他にも幼い頃から描いていたアナログのグラフィックからきっかけで始めたリハビリを兼ねた父と版作り、露光機づくりからはじめるDIYスタイルのシルクスクリーンプリントのTEEブランドで病気ながらにこころ豊かになったのも自分のキャリアのなかではかなり大きいです。

アウトサイダーアートとは自分にとってどんなものかを自分に問いかけると?、それは心を病んだ人の数だけ内在している想いがあってそれを発信することによって見る人触れる人にトレンドや周囲に左右されない自分らしさとして伝わるのではないか、その自分らしさを発信するという考え方を体感することにおいては病気になりはじめた時分に母と通い続けたその人らしさを尊重したうえでの生涯を終えるということを知る意味での介護施設でのボランティア活動、これも間違いなく自身のキャリアとして深く関わっています。

また、某メディアで取り上げられた際に述べたように精神疾患を患っているからこそ生まれる視点やエネルギーは多様であり、新たな可能性が期待できます。ファッションデザインは、疾患や障害のあるなしに関わらず、まさに人間の多様性と重なるものであり、私のささやかな取組もそんなダイバーシティの一つとして受け止めていただければと思います。

そして、ファッションデザインの新しい一つのかたちとして見ていただけたらな、と思います。社会的弱者のデザインしたもの、という先入観にとらわれず胸を張って独自のアイデンティティを武器に力強いデザインを発信していきたい気持ちでいっぱいです。

長文をご一読いただきありがとうございました。

0コメント

  • 1000 / 1000